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2006年 04月 06日
『家畜人ヤプー』 沼 正三 幻冬舎
書きます書きますと言い続けて来た、「家畜人ヤプー」のレビューです。なぜ(1)かというと、レビューが余りにも長くなりすぎたのと、小説版・劇画版・漫画版と3種類読破したので、3回に分けてご紹介しようと思ったためです。興味のある方はお付き合いください。 で、最初は小説版。実は「家畜人ヤプー」の小説版はなんと5回(※1)に渡ってあらゆる出版社から発行されています。そして、その度に加筆・修正されてきました。ただ、現在普通の書店で入手可能なのは「幻冬舎版」だけあり、これが今現在の最終版なので、この5種類の中からこちらのレビューとさせていただきました^^ まず、ストーリーをご存知ない方のために、簡単にご紹介しますね。(文庫本の裏表紙より) ある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき女性が一人。2000年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人は「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜とされているというのだが… その後その2000年後の世界イースを訪れた麟一郎とクララは、そこが白人貴族・白人平民・黒人・ヤプー(日本人の末裔)の徹底した差別社会であり、ヤプーは白人貴族の生活道具・食物・乗り物等として使用するために生体手術を施され、家畜として白人貴族に奉仕させられていることを知ります。また、「イース」は女尊男卑の世界で、女性が社会を牛耳り、働き、男は主夫としてスカートを穿き家庭を守っています。 こんな数行でも分かるくらい、かなり倒錯した世界観の本です。戦後最大の奇書、と三島由紀夫や渋沢龍彦、寺山修司らが絶賛するのも良く分かります。日本人が家畜になっていたり、スカトロジーの描写が多いので、そういうのが苦手な方は読まない方が良いと思います。 また、いたるところに「ガリバー旅行記」「万葉集」などの書物や、現代語との言葉の読み替えが登場します。例えば、ヤプーでできたお手洗いは「セッチン」と呼ばれていますが、これは昔の日本での「雪隠」をもじってますよね。(写真は、飛騨旅行時に、高山陣屋で撮影したものです。感動しました★)こういうのが全編に渡ってしつこく登場するので、元々の知識があれば「上手い!」とひざを叩くこともあるかも知れませんが、基本的に駄洒落なので、元を知らないと特に、ちょっと疲れます。 でも、やはりこの細部まで緻密に練られた世界観、麟一郎が「イース」でヤプーとして、クララが白人貴族として生きることを決断するまでの微妙な心理描写、めくるめく倒錯したエピソードの連続に、なぜか引き込まれて読んでしまうこと間違いなしです。 やはり、読むならまず小説版がオススメです。ちなみに幻冬舎版には、今まで出版してきた5種類のあとがきが全て掲載されてて、ちょっとお得です。 ※1 ・都市出版版(70年)・角川文庫版(72年)・角川・限定愛憎版(84年)・ミリオン出版版(91年?)・大田出版版(92年)・幻冬舎版(99年) さて、ここまでが小説版の書評です。 ここからは、もう少し別の観点でのレビューになります。 このレビューはとても長く、性的に偏っている上に至極個人的な内容で 非常に申し訳ないのですが、興味がある方はぜひ読んでみてください。 そしてご意見いただけると幸いです。 「マゾヒズムとは信仰である」 “真のマゾヒズムとは、信仰心を持って初めて完成するのだ。” これが、私が「家畜人ヤプー」を読み終えての感想であり、この類まれなる奇書から学んだことでした。これは、私自身の過去のある経験を鮮明に思い出させ、長年疑問に思っていたことを解決させてくれる事実でした。 ※これが本当に私自身の経験か、もしくは友人の体験を聞いたのかは 内緒にさせてください。実際にあった出来事なのは事実です。 ----------------------------------- 最近、「君ってS?M?」みたいな話題が飲み会の席で多く聞かれるようになった。これは、沼 正三氏が「家畜人ヤプー」を奇憚クラブに出稿していた時代と比べると、ずいぶんと、いや、かなりSMがポピュラーになってきた証だろうな、といつも感じる。私の友人の多くは、目隠しや手を縛る位のプレイなら大抵一度位は経験している。SMとみなすのかは怪しいが、バイブ等のおもちゃもその使用がずいぶんと一般化してきた。 (アナル・セックスが一般的かどうかは、実に微妙なラインすぎて分からない) ただ、それ以上のプレイ…、蝋燭・鞭に始まって洗濯バサミの乳首攻め、 麻縄による緊縛(これは本当に、縄が肌に擦れて痛い) 首輪・口枷・猿轡・鼻フック・浣腸などの使用になってくると、これはまだまだ ごく少数の、本当のSM嗜好者でない限り、なかなか使用する機会、 というより「使用したい」という気持ちを持つことはないだろう。 なぜか? 苦痛が伴うからだ。 目隠しや手を縛る位なら、ちょっと虐められている気持ちになり、行為にも熱が入る。 しかし、大半は痛いことをされるのがイヤだし、もちろん スカトロジーに至っては言うまでもない。排泄物を口にすることなど考えられない。 これが、2006年の日本の一般的なセックスの現状ではないかと考える かく言う私個人はどうか―。 私は自他共に認めるマゾヒストである。 いや、あった、と言った方が正しいのかも知れない。上記に書いたようなプレイは大抵経験したし、そこに快感を確かに覚えた。もちろん、たいていのSM嗜好者がそうであるように、好きなプレイと苦手なプレイはあった。(私の場合は、洗濯バサミ攻めと黄金をいただくのがどうしても駄目だった) 今まで、このような行為をした相手は3人いる。ただ、「ご主人様」というものを持ったことは無い。3人とも「彼氏」と呼ぶにふさわしい付き合い方をしていた。(が、その内一人は不倫だったので、彼氏と呼ぶにはすこし語弊があるかもしれない。) しかし、あるときから私はこういうプレイを好まなくなった。 なぜか―。 それは、3年前、六本木のあるハプニング・バーでの出来事がきっかけだった。 その日、私たち(当時の"彼氏")は何人もの男性に 見られながらのセックスを楽しんでいた。 夢中だったため記憶はないのだが、数名の男性も私の身体を弄んでいたらしい。 この日は稀に見る「当たりデー」で、他にも何組かのカップルかが 私たちと同じように鑑賞される愉しみを味わっていた。 その最中、私は何度か隣でプレイしていた一組の、男性の方と目が合った。 なかなか男前で、好みのタイプだった。 連れている女性は、直感的に不倫相手だと分かった。 その男性は何度も私に目配せをし、興味を隠すことなく 私の身体を眺めていた。 この人、私とやりたがってる。直感的にそれは理解できたが、 だからどうということも無かった。 私たちにはスワッピングの趣味は無かったし、それは無しに しよう、と事前に話し合っていたからだ。 朝方が近づくと、段々人が減ってきた。すでに始発が走り出す時間になっていたし、空は白々と明るくなっていた。(店の中からは見えないようになっていたが)私たちも帰ろうと、シャワーを浴びた。その頃には、もう私たち以外には残り一組のカップルしか残っていなかった。さっきの不倫カップルだ。 シャワーを浴びてくつろいだせいか、彼氏が「最後の一回」と求めて来たので、それに応じようとした時、例の男性から声をかけられた。 「よろしければ、相手を交換しませんか」 スワッピングの申し出だ。 相手の女性の顔をじっくり見た私の彼は、私に耳元でこう囁いた。 「あんな女とヤリたくない。だから俺はしない。 だけど、一度君が他の男にやられてるのを見てみたい。 だから、君だけこの申し出に応じるんだ。命令だよ。」 一方、相手方の女の方はというと、 「私はいやよ!」と、こちらはハッキリと答えた。 しばらくの間。 私は場の空気を壊さないように立ち上がり、 「どうしようかな~。取り敢えず、お酒のお代わりもらってくるね」と その場から逃げた。 正直、その男性に抱かれることはそんなに悪くない―。 いや、先ほどから見ている限り、セックスは上手そうだし、 顔も好みだし…。彼氏がやれと命令するなら、やっても良いのではないか。 そう考えていた。 しかし、一方で、彼氏以外の人に抱かれるということに対する 胸の痛みも感じていた。 彼氏は完全なサディストだが、反面こうやって自分が傷つくことで 自分を虐めて悦ぶ「対自分限定のマゾヒスト」であることはよく分かっていたので、 私があの男性とすることを、嫉妬し、そしてそれを愉しむだろう。 だから、この命令に従うことは彼の悦びでもあるのだ…。 そう分かっていても、心中は複雑だった。 正直、答えは決まらなかった。 ただ、考えれば考えるほど「彼以外の人とはしたくない」という 至極全うな気持ちが、恋愛感情が、胸を占めて行った。 結局答えを決めきれないまま、とは言えあまり長く席を外すのも不自然なのでプレイ・ルームに戻ると、その場は予想外の展開を見せていた。不倫相手の女が激昂して、「ただでさえたまにしか会えないのに、たまに会ったらこんな場所で、しかも他の女とやりたいってどういうことよ!」 と泣き叫び、男性に見事なまでの平手打ちを食らわせていた。 男性は困った顔で私たちに苦笑いをよこした後、彼女をなだめ、 服を着せ、帰っていった。 私たちは、なぜか「なんか、すいません…」と謝りながら それを呆然と眺めていた。 その後(それでもセックスできる彼氏も今思えばすごいが) 白けた空気をものともせず、私と彼はその日最後のセックスをした。 彼のものを受け入れながら、私は、やっぱりあの男性としなくて 良かった―と心底思っていた。 そして、彼への愛情が胸に湧き上がり 「したくなかったの。私、あなた以外の人となんて本当は したくなかったの。」と彼を責めながら泣いた。 この一件以来、私の中のマゾヒスティックな嗜好は 少しずつ、少しずつ薄れていった。 この一件を「家畜人ヤプー」のレビューと共に紹介したのには訳がある。愛情と信頼関係とSM嗜好があれば、大抵のプレイは行える。ただ、ある一線―(それが、私の場合は彼以外の人に抱かれることであり、人によってはスカトロジーや鞭となるのであろう)を超えて、ご主人様・もしくは女王様、いずれにしてもサディストの命令に従うには、それだけでは足りない。 そこには「信仰」が必要なのだ。 相手を信仰する。相手の悦びが自分の喜びで、 苦難を乗り越えれば乗り越えただけ、自分は救われる。幸せになれる。 自分の運命は相手に委ねられており、どれだけ試練に 耐えたかで自分はより高いところに行くことができる―。 それを、本気で、心の底から信じていなければ駄目なのだ。 残念ながら、私は彼氏を「信仰」していなかった。 だから一線を越えることができなくなった。 それは、ある意味マゾヒストとしての自分のプライド (のようなもの)を大きく損なう出来事であり、 それ以降、数年かけて、今では愛情のある正常位が 一番良い、と思うに至っている。 レビュー(2)に続く
by hachilog
| 2006-04-06 22:09
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